最近聴いているインドネシアの歌手のプロフィル(1)Rina Aditama

インドネシアの好きな歌手も30年前から比べるのだいぶ変わってきた。

そこで最近ユーチューブで聴いている歌手のプロフィルを書いておく。

まずは女性歌手(1)。

Rina Aditama

出身地  東ジャワ州パチタン出身

誕生日 1997 年 6 月 14 日生まれ

住所  RT 03 RW 03 dusun Krajan 1 Desa Jatigunung kecamatan

    Tulakan kabupaten Pacitan Jawa Timur

チャンプルサリの歌が好きだったのでシンデン(伝統的な歌の歌手)になる。

シンデンだけでなく、ダンドゥット、ポップ、その他のジャンルの曲も歌う。

   
   
   
   
 

 

 

Tari Ular Naura Verda (スネークダンス)

インドネシアの女の子のスネークダンスを見つけた。

祝日や子供向けや誕生日の祝いのイベント行われるようだ。

ダンスの流れは初めにインド風の衣装と曲でダンスが始まり終わると真ん中に置いたケースに座って衣装を脱ぐ。下に来ていた派手な衣装に変身。曲が変わってケースから蛇を出して踊る。この祝いの詳細は見つからないが「蛇が脱皮する」のを子供の成長にとらえているようだ。いくつかのグループがこのイベントを行っているようだ。

Naura Verdaのスネークダンス(1)

Naura Verdaのスネークダンス(2)

Naura Verdaのスネークダンス(3)

www.youtube.com

 www.youtube.com

www.youtube.com

男性のDolalakダンサー

男性のDolalakダンサーから、女性ダンサーに

1968年以前は、かつてこの踊りは時代に合わせてDolalakダンサーは男性で、その後、女性ダンサーによるドララックダンスが始まる。その男性の動画があった。

黒いユニフォームとショートパンツを着た男性によって演じられ、 このダンスパフォーマンスで着用される服は、黒の長袖シャツと黒のショートパンツのほか、ペットの帽子、サンプール、ロングソックス、メガネなど、オランダ軍の服装による。

酔っ払っている兵士を描いているので、酔っ払った人のようにダンスは不​​規則。

 


www.youtube.com

DEWI ARUM LATIHAN NARI BERSAMA BULE² 練習風景


www.youtube.com

シントレンダンス

 

シントレンダンスの歴史

ジャワ島の西海岸に由来するダンスアートの1つで、西ジャワと中部ジャワの北海岸で、「トランス」の女子が踊る伝統的な踊り。シントレンという用語は、チレボン語での呼び出しの表現を意味する Si という言葉に由来する。 そして、女性の意味を持つトレンド。植民地時代を考慮して、チレボンとインドラマユ パントゥーラの人々がオランダの兵士をだますため闘争の側面を隠した芸術。 

バニュワンギのセブランダンスと同じように、シントレンダンスも先祖の霊からのメッセージを伝えるための媒体として使用されるロンゲンという女性ダンサーを使用している。

村の「つながり」の媒体として使用される。
忌避のための踊り。
雨を求める儀式。
赤ちゃんに名前を付ける儀式。


ダンサーの要件とフォーメーション

 





シントレンダンスパフォーマンスのダンサー要素は、4人のカントリックまたは伴奏ダンサーを伴うシントレンまたはロンゲンで構成される。

ダンサーが聖なる状態にある処女でなければならない。

ダンサーに加えて、シントレンダンスパフォーマンスには、先祖の霊を召喚する役割を持つダランまたはシントレンハンドラーもある。

シントレンダンスパフォーマンス

(1) Sintren Cirebon - YouTube

www.youtube.com

1.お香

ダランの聖人は、右手でダンサー候補の頭を持ち、左手でダンサー候補の肩を持って祈る。
祈りのセッションが終わった後、ダンサーは頭を下げて意識を失う。

2. Paripurna

普段着を着ているダンサーの一人候補を手で縛り、鶏の檻や檻に入れる。

聖人は、香を運び、さまざまな呪文を唱えるラングンを取り囲む。

Dibullah ragihとダンサーは、衣装とメイクアップシントレンを使用して着替える。

3. Balangan

ランガンの定義は、お金またはお金を使った「ムバラン」ダンサーの行列。

投げられたお金にダンサーがぶつかると、先祖の霊が体から出てくるので、すぐに意識不明の状態で体が地面に倒れる。

この状態で、ハンドラーはダンサーのところに来て、呪いを唱えながら顔をこする。

そこで、先祖の霊がダンサーの体に戻り、シントレンダンスを続けることができる。

ムバランに成功した観客は、シントレンと踊ることができる。

4. Temohan

テモハンは、シントレンのパフォーマンスの最後に、ニルやトレイを持ったダンサーが真摯な箕を手に入れるために観客のところに行く。

プロセスが完了すると、ダンサーは「日常」の服を着たままケージに戻る。

歓喜がおこり、ダンサーの体を持っていた精神が出て、ダンサーが普段着を着て戻る。

 

シントレンダンスの動き

ダンサーの持つ精神の影響で踊られるため、特別な振り付けはない。

さまざまな動きは、その動きがシントレンダンスに現れる頻度に基づいて命名される。

したがって、動きは単調で反復的である傾向がある。

それでも、現れるさまざまな動きは、柔軟で、なめらかで、活気があり、エネルギッシュで、ジェンディングとテンバンの伴奏に合わせて暴れているように見える。

 

Kostum dan Properti 衣装と小道具

サングラス

ダンサーが着用するサングラスは、シントレンダンスの特徴と独自性であるアクセサリー。

これらのメガネは、トランス状態にあるときにダンサーの目を閉じるように機能する。

ランガンマネー

ランガンのお金は、実際にはダンサーに観客から投げられる。

しかし、このバランガンのお金は、バランガンの儀式がショーのメインシーンでもあるため、シントレンダンスの必須項目。

お香

このお香は、シントレンダンサーの体に入るように「求められる」精霊を召喚するための媒体として燃やされる。

 

Turun Turun Sintren - Iyeng Suparni Tarling Jadul 80'an

www.youtube.com

 

ドララックダンス

インドネシア、プルウォレジョのドララックダンスについて

「ドララック」という名前

この踊りがその音色の音楽を伴うため、「Do」と「La」の音符に由来。

ドララックダンスは、オランダの兵士のダンスの動きを模倣したものとして次の3種類の踊りで構成されている。

  • マーチングダンス
  • カップルダンス
  • プラダンス/復讐/ndadi/トランス

プラダンスの場合、酔っ払っている兵士を描いているので、酔っ払った人のようにダンスし、時々周りの人の膝に乗ったり、楽器の上に座ったりして休む。

 

ドララックダンスの歴史

Dolalakは、1915年にRejotaruno、Duliyat、Ronodimejoによって最初に演奏されたが、1940年代に起こった第二次世界大戦中に衰退する。1968年以前は、すべてのDolalakダンサーは男性で、その後、女性ダンサーによるドララックダンスが始まる。

舞踊の様式と衣装

ジャワ舞踊の動きとプンチャックシラットを採用した踊り。当初、ドララックは黒いユニフォームとショートパンツを着た男性によって演じられた。 服は、黒の長袖シャツと黒のショートパンツのほか、ペットの帽子、ロングソックス、メガネなど、オランダ軍の服装が引用された。

ダンスプロセス

ドララックダンスのパフォーマンスは、ダンサーがパフォーマンスエリアの真ん中に足を組んで座るオープニングから始まり、 その後、ダンサーはペア、トリオ、カルテットなどのさまざまな形で一緒に踊る。キプラダンスのダンサーは、たばこを吸っている場合もある。酔っている表現のせいか、女性が踊るとエロチックにみえる。

眼鏡の使用は、セッションがある場合、ダンサーがトランス状態またはトランス状態になるNdolalakパフォーマンス中のみで掛ける。
パフォーマンスのピーク時には、ダンサーが「ndadi」という名前のトランス状態となる。

プラダンス

 Cao gletak-Sawal lamuk kaliwiro-Ndolalak putri dewi arum - YouTube

踊り子がショートパンツをはいてサングラスを掛け、たばこを吸いながら踊る特異なパフォーマンスになっている。時々周りの人の膝に乗ったり、楽器の上に座ったりして踊が止まる。

カップルダンス

(1) Indri si ratu MENDEM_ Senggot, Gondang keli_ Ndolalak putri dewi arum - YouTube

ww

マーチングダンス

(1) PENARI INI DITUNGGU BANYAK PENGGEMAR - Ndolalak Dewi Arum - YouTube

ダンサーのパフォーマンスが面白い。

踊り子がバナナを食べながら踊るパフォーマンスになっている。時々周りの人の膝に乗ったり、楽器の上に座ったりして踊りが止まり、最後に踊り子は失神する。 

大友柳太郎丹下左膳

大友柳太郎の丹下左膳がユーチューブにアップされていた。

俳優は豪華なのだが丹下左膳がストーリーの中でのかかわりが薄い。まさに東映時代劇の真骨頂という感じの娯楽映画。丹下左膳のイメージが決まったキャラクター、衣装でストーリーなどどうでも良いという感じも良い。

上州鴉

昭和26年(1951年)公開の大映映画  脚本 新藤兼人

脚本の良さが最後まで飽きさせない映画になっている。旅籠の朝餉を配るシーンでそれぞれの客を紹介していくのも良いし、身売りした金を取り戻す場面と、いかさま博打の仇で胴元を刺してしまう場面を省略して話を繋げるのも上手い。新藤兼人の脚本と主役の大河内傳次郎で最上の娯楽時代劇になっている。